《畔吉の万作踊り》
上尾市西部の畔吉に伝わる『万作踊り』と『源太踊り』は、埼玉県を代表する民俗芸能で、毎年、4月の第一日曜日、畔吉の鎮守である諏訪神社で上演されています。
『万作踊り』は、その名の通り、農作物の豊年万作(五穀豊穣)を願い、江戸時代末期に流行し、継承されて来たものと思われます。
この芸能は、地域で趣は異なりますが県内全域に広く分布し、市内では藤波・平方領々家・地頭方・菅谷などでも伝承されています。
演目は、下妻踊り・手ぬぐい踊り・銭輪踊り・伊勢踊り・口説き踊りの5つで、昭和初期までは、江戸の芝居(歌舞伎)を見物し、万作踊りを義太夫や長唄に見立ててジョイントさせた万作芝居(農村歌舞伎)も上演されていました。
『源太踊り』は、四斗樽を叩きながら唄う源太節に合わせて踊る芸能で、演目は、唐傘踊りと菅笠踊りがあります。
大正時代、栃木県足利市出身の「堀込源太」が創作し、八木節とも呼ばれ、レコードの発売や浅草での公演をきっかけにして一世を風靡しました。
足利市周辺では、「堀込源太」の弟子たちによって伝承されその名も代々継承されて来ましたが,畔吉やその周辺での『源太踊り』は、初代堀込源太の浅草公演を見物した踊り手たちが、自分達でアレンジし創作した独自の踊りです。
上記のように、『万作踊り』も『源太踊り』も、東京(江戸)の文化を取り込む形で成立した芸能と言えます。
このことは、かつて上尾が「上尾宿」として栄えたことの足跡であり、当時の人々の活き活きとした姿を彷彿とさせ、歴史という時の流れを感じさせてくれます。
公演当日、埼玉テレビの報道陣、上尾市教育委員会、市史編纂課で保存会に携わっている行政のメンバーも駆けつけ、諏訪神社境内は賑わいを見せ、子ども連れの家族も三々五々と集まって来ました。
予定時刻を遥かに回って、のんびりと開始された踊りの数々は、婦人会の方達がふるまって下さる御神酒やお茶、おつまみをいただきながら、夕刻まで続きました。
この土地で、夫々の暮らしを抱えてきた踊り手達。観ている側もつい引き込まれ、踊り出してしまいたくなる、そんな勢いと逞しさを感じました。
この日の為に、ひとつの目標に向けて集い、練習を重ねる。このことは、きっと、日々の生活の辛さや憂いをひと時忘れ、明日に生きるエネルギーを活性化させてくれる縁(よすが)でもあったことでしょう。
地域の繋がりが益々薄れて来ている今、何かの縁で、同じ処に住む人と人とが共有し合える場≠大切にしなくては。伝承の根っこは其処に在るのだから。
これから、 若者世代を巻き込んで次世代へ引き継ぐ試みを、行政とも連繋し再考して行かなくてはならない。そう思えました。

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