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『氷川鍬神社の由来』

 江戸時代のある年の暮れ、上尾の町が宿場としてたいそう栄えていたころのことです。荷車の真中に大きな箱を積み、「お鍬踊りを踊ろうよ」と歌い踊りながら、木綿の黒い衣に「鍬」という字を染めぬいた衣をまとい、茜色の布でほおかぶりをした一団が上尾の方へ向かってやってきました。

 荷車の脇には三人の童子がその箱を守るようについています。ところが、この一団が上尾の宿まで来ると、不思議なことに車はびくとも動きません。どうしたことかと、みんなで考えあぐねていると、この様子をじっと見ていた老人が、「どうやらこの箱と車は、この地にとどまろうという考えがおありのようじゃ。

 ここに、祀らせてもらおう。」と言いました.回りに集まっていた地元の人達も、「それはいい考えだ。」と、話が決まったとたん、車が軽く動き始めました。

 年も明けて正月五日、本陣に」運び入れた荷車の脇に、いるべき筈の三人の姿が見当たりません。

 三人の童子の守っていた箱のそばに近づき開けてみると、光輝くばかりの金の弊束に二本の鍬が結びつけられていました。そこで地元の人たちは、お堂を建て、この弊束を大切にまつりました。そのため、この神社は、「鍬神社」と呼ばれるようになり、のちに、二ッ宮にある氷川神社の女体社≠ェ移されてから「氷川鍬神社」と呼ばれるようになりました。