 |
瓦葺の掛樋
昔の写真は市東南端・瓦葺と蓮田市境の綾瀬川と見沼代用水が交わる所に架けられていた掛樋(明治41年製)で、昭和30年代前半に撮影したもの。綾瀬川の上に橋を架けて、その上を用水が流れる川の立体交差の掛樋は、享保13(1728)年の完成から昭和35年まで使われていました。
現在は見沼代用水が綾瀬川の下をくぐる伏越という形になっていますが、今も綾瀬川の両端に残されているレンガ性の橋脚台が往時をしのばせます。
|
「掛樋史跡公園のミニチュア」
|
 |
湿地帯であった、浦和・大宮の東に広がる見沼(三沼)の地の開発は1629年(寛永6)の『八丁堤』から始まります。しかし、上流・下流への用水の要となった溜井は、渇水時・増水時にそれぞれの弊害をもたらしました。 次に、その大きな難点を克服する為に考えられたのが、着手から三年の月日を経て1728年(享保13)完工した、見沼代用水の開発です。
溜井の排水による大規模な水田(見沼田んぼ)と用水、更に通船堀(水位を調節する水門)を二ヶ所に設け舟を通す、という三つの大きな役割を果たしたのです。
この方法は、パナマ運河と同じですが、先立つこと、なんと150年!。
そして、何世紀を経た今も引き継がれ息ずいています。昔の人の知恵の深さと逞しさに、唯々、脱帽!!です。 |
|